「蒼い時」(画像と掌話第二集)

    

「水車」


 問答する私たちの前で、水車は休みなく回りつづけた。 
「かけがえのない人たちと信じていたのに、ひとりのこらず傍をはなれていきました。私がまちがっていたんでしょうか」
「いや、あなたは正しかった。そしていまも正しい」
「だったらなぜ、いつも大事な人を失ってしまうんでしょう。自分から嫌われようとしたことも、ましてや自分から相手を嫌いになったこともありません」
「それは、そういうものだからです」
「そういうものって……」女は半べそをかきはじめた。
「充ちれば欠ける、欠ければ充ちる、世のなかはそういうものです。一時は充ちて不動の状態にあったとしても、中身が腐ってまた欠ける。人のつながりも不定の運命をのがれられない」
「もしかしてあなたも、いつか私から欠けてしまうのですか」
「そうなる日が来るでしょう」
 女はしばらくハンカチで目をふさいでいた。それから「私はいやです」と言いきって立ちあがった。
「私は、ずっと同じ人と同じところにいたいのです。たがいに腐って朽ちる仲ならば、それはそれで後悔しません。でも、いずれは欠けるさだめを背負ってのおつきあいだとすればもうたくさん。別れに美名を着せたいのなら、どうぞあなたおひとりで」

 立ち去る女の後姿をながめながら、私はふと床上手な彼女の媚態を想いかえした。あらたな水を導きいれる瞬間を欲するかのように、その腰は悩ましく宙に揺れながら生垣の向こうに遠ざかった。
 ひとりベンチにのこった私の目前で、水車はくるくると回りつづけた。







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「ネコの花」


 ネコのお墓に咲いている。「チーコの花だ」と、おばあちゃんが目を細めてた。
 一本つんで持ちかえった。ちゃんと水を入れたビンにさしたのに、つぎの朝にはしおれてしまった。おばあちゃんはメガネを外し、縁側の方を向いて目尻をぬぐった。チーコが起きなかった朝を思いだしたみたいだ。一輪ざしのタンポポは、糸のように細く、かたちがなくなるまで下駄箱の上にあった。そのおばあちゃんも、この秋に、わたしのそばからいなくなった。

 日曜の朝ごと、わたしはお墓参りにいく。
 とちゅう、庚申さまの前にさしかかったあたりで、あかるい朝もやの向こうに、おばあちゃんとチーコの姿をよく見かける。ふたりはいつも、散らないシロバナタンポポの花でいっぱいの野を散歩してる。なつかしくても声をかけちゃいけない、それくらい、子どものわたしだって分かってる。






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「水底に」

 あそこにあの子がいる、と言って聞かないんだ。色白で青い服が好きな子だったからね、おまけにウチのダンナは糖尿病がすすみ、あきめくらの一歩手前ときてる。青みがかった川床の岩が、娘の寝姿に見えたんだろう。
 私があんまり相手にしないんで、あのひとは一人でたしかめる気になった。そして、アンタがいま立っているあたりの土手で足をすべらせたんだ。

 翌朝、橋ふたつくだった葦辺に引っかかってるのを、消防団が見つけてくれた。顔も手も足も真っ青だったよ。だけど口元は嬉しそうにゆるんでた。
 たぶん、水の底であの子に会えたんだ。よかったね、って声かけて、わたしゃ泣きもしなかった。だって、好きな酒も飲めず、チンチロリンもできなくなったあのひとに、これ以上のしあわせがあるもんか。赤飯たいて祝ってやったさ。

 ああ、そうだ。人間が思うことに嘘いつわりなんてありゃしない。他人にすれば馬鹿げたことでも、本人にとっちゃ、どこまでもほんものなんだ。
 だから私も信じるよ。この川底でふたりが自分を待ってる。蝋燭の灯で針仕事すりゃ、じきに眼なんか見えなくなるし。そしたらまた一家三人、仲良く喧嘩しながら暮らせる時がくる。
 
 おっ、すべった。だいじょうぶかい? あんたは若いから、まだまだ足元に気をつけなきゃ。
 けっして私の話につられちゃいけないよ。娘みたく、早くから向こうで待つ身は、きっと辛いにちがいないもの……。






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「狂おしい手」

「待って」という声を聴いた。立ちどまると同時に右足が固まった。青白くただれた手が僕の足首を掴んでいた。さきほどの声の主のものだろう。

 気味がわるい。けれど無理に逃げだしてこの手がもげ、自分から離れなくなった方がさらに気味わるい。仕方なく僕は訊ねてみた。
「いったい、どうしてほしいんだ」
「ひとりでさみしくてたまらない。どこかへ連れていって」
 涙まじりの声で哀願された。
「僕だってさみしくて、今日明日にでも死にそうなんだ。誰かいっしょにいてくれる人を探すため、こうして先をいそいでいる。悪いけど、君を道連れにする余裕はない」
「だったら、私とここにいればいい!」
 すごい力で下向きに引っぱられた。めりめりと、僕の身体は地面にはまりこんでいった。
 ついに頭まで土の中にもぐった。穴の口がふたたび落葉に覆われる寸前、狂おしい口づけの形相でせまる、蝋人形のような女の顔を見た。







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「たましいのふるさと」

 いや、これはまた、いいかたちをしていらっしゃる。で~かっぷはおありでしょうか。
お、おお、また手がぶれた。こうしてレンズ越しにのぞきこんでいても、左の中指が、あなたの先っちょにたわむれかかりたいとだだをこねてしまいます。

この白さ、この円やかさ、どこのどなたか存じあげませんが、ワタシの‘たましいのふるさと’と、およびしてもよろしいでしょうか。おゆるしいただけるなら、すこしは気をおちつけて撮影できそうです。

え、おっけー?
よかったあ、これでまともな絵が撮れる。あつかましいおねがいしてもうしわけありません。じつはつい二週間まえに、美乳じまんのカノジョにだまされたばっかしなんです。いま思いだすだけでも……う、ううう……(といきなり顔を埋めたあとで)――
ちくしょう、こいつのムネも‘ばふっ’て爆ぜやがった!






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「蒼い時」

 なんてタイトルの本があった。
 闇が降りてくる一瞬前の空。土曜、人待ちのあいだに気がついた。

 この蒼さの遠くには海がある。鋭い三日月の下、鈍色の魚が泳ぐ海がある。味気ない新興住宅地にも、深く、夢幻に沈むときが訪れる。

 まもなく人が来た。すっかり濃さを増した宵闇のなか、あたりさわりのないあいさつを交わした。車に乗ったあと、わざとフロントガラス越しに夜空をあおぎ、「ほら、あの雲の横に魚が……」と口ばしってみた。その人はあきらかに怯んだ表情で、運転席に座る僕をうかがった。

「いや、今夜はうまい刺身が食べたいなあ、と思って」
「……そうですか、いきなり魚が出てきて驚きました」
 僕はゆるゆると車を進めた。宙を泳ぐ魚群を求め、徐々に西へとアクセルを踏み込んでいった。

 のんきに助手席で携帯の着信メールをたしかめる道連れに、真実をいつ切りだせばいいんだろう。‘あなたはここに帰れない、僕とともにあの蒼さの底に没する定めにある’と。







しょうせつろご


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